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青おにぎり外観

「人とのつながりを感じながら働きたい」 おにぎりをとおして人と出会う、青おにぎり(終)

特集 「わたしの住む街」

会いたい人と好きな場所がふえることで、今いるこの場所をもっと、好きになれるんじゃないだろうか。

「自分の住む街のことを知りたい」と思って始めたこの企画。京都の気になる人や場所を訪ねていきます。

前回はこちらです。「人とつながりを感じながら働きたい」 (2)

 

第2回 「人とのつながりを感じながら働きたい」
(インタビュー 青松としひろさん)

青おにぎりを始めて、もう5年が過ぎたという。

どうして、ひとつのことを続けていけるのか。
わたしは、自分でお店をした経験なんてないから、お店を続けるのがどういうことなのか、実感をもって考えられない。
お金のこともそうだが、きっと気持ちの面でも、私が想像する以上に大変なんだろう。

どうして、青松さんは、おにぎりをにぎり続けていられるのか。
「そこですよね」
私が質問すると、考えるように、青松さんは話しだした。

「料理をつくるのがめっちゃ上手な人でも、それを毎日するのができない人は、ひとつのお店を続けていけないですからね。
おにぎり屋にしてもパン屋にしても、続けていけるのは、情熱という言葉ひとつじゃない気がしますね。
ふつうに、俺これしかないし、家族おるし、金稼がなあかんしっていう現実的な条件もある。

でも、嫌やったらやめたら、ほかに仕事できる自信はあるけど。
続けていくのってほんま大変やなって思うけど、運もあるんじゃないかな、状況の。

僕の場合は、びっくりするくらい、お客さんに愛してもらっているから。うん、だから幸せなんですよ。やめれないでしょっていう状況になったら、やめれないんじゃないですか」

おにぎりを買いにきたお客さんが、お店が混んでいる様子をみると、「ほなまた今度にするわ。頑張ってな」と笑顔で出ていく。
それで良かったのだろうか、と思う青松さんだが、そんなお客さんの気遣いに助けられていると言う。

もし自分がお客さんの立場だったら、同じようには言えないだろうと。おなかがすいて食べにきたのに、待たされるのかと思うだろうし、たくさん売れてよかったなあ、なんてきっと言えない。
お客さんの優しいひとことや、頑張れという視線に支えてもらっているのを身に染みて感じる、と青松さんは言う。

 

おにぎりをにぎりつづけて40年?

 

「やっぱり、若い子は応援してもらいやすいと思うんですよね」
そう口にする青松さん。

29歳のときにお店を始めて、30代はまだ若いから応援してきてもらえたが、この先はどうなるかわからない。ずっと応援してもらえればそれはありがたいが、いつまでも、年齢には甘えていられなくなる、と。

20代、30代は若さで走れる部分もある。60代、70代になってまだおにぎりをにぎっていればきっと、街の名物おじいさんになっている。

「このおじちゃん、もう40年ぐらいおにぎりにぎってるらしいでってなったら、そのときの20代の若者とかが来て、とりあえず食うたろうやって。
じいちゃん、おつりいらんわって言われたりして。

それか逆に、じじいはよ出せ、とか言われたりして。俺ももう、売上どうのこうのじゃなくなって。そのころが楽しみやね。しわくちゃになって」

こうしておにぎりをにぎり続けていれば、自分はどうなるのだろう。その先にみえるものが楽しみだと、青松さんは言う。私はその感覚を知らないけど、何かとても大事なものに思えた。

きっとこれからの、40代、50代が勝負になる。
若さだけでは通せない。実力を求められる年齢だから。

「おにぎりで生計を立てる。別にプライドとかじゃなくて。なんか格好いいなと思うんですよね。それで飯がひとつ食えてるみたいなところ」
お店によってやり方は様々だ。でも自分のなかでは、この先もそうありたいと思うのだと、青松さんは言う。

 

自分の思いをかたちにする。

 

青松さんは、人とつながる手段として、おにぎりを選んだ。
今もそうだが、彼がおにぎり屋をすると決めたときも、おにぎり専門店という存在は身近なものではなかっただろう。
周囲の大人たちが無理だと言ったのも、それが馴染のないものであるし、ビジネスとしてするのはきっと難しいと判断したからだ。

「自分はこれをしたい!」
でもそれが仕事として、生きていくすべとして成り立つものかわからない。周りには、自分の思うかたちを実現したものがない。そんなときは、どうしたらいいのだろうか?

「僕は自分がやりたいことをやっているんですけど、それを仕事にしていくために、どういうラインでやっていけば受け入れてもらえるだろうかというのは、すごく気にして考えている」
と青松さんは言う。

自分がやりたいのはこれだから、と格好よくとがっているだけでは、周りには受け入れ難いものになる。
だけど全部を、周りの需要にそって平均を気にしてしまうと、よくある見飽きたものにしかならない。
だから、自分がやりたいものと周囲に受け入れられるもの。そのふたつのバランスをよく考えるのだと。

おにぎりにしても、あまり親しみのないメニューばかり並べて、しゃけやうめなどの定番をはずせば、一部の若者しか来なくなる。全部の素材にこだわって、お米も高級なものをつかって、1個300円で売ったとしても、それを買ってくれるのは本当に一部の人だけになってしまう。

じゃあ、どうすればいいのだろうか?

値段は、コンビニのおにぎりよりも少し高いくらいにする。それだったら、手に取ってもらえるだろう。お米は釜で炊くから、炊飯器で炊く家のおにぎりとはちょっと違う。コンビニのおにぎりと家のおにぎり。

そのどちらでもない、手づくりのおいしいおにぎりをつくる。

青おにぎりで食べるおにぎりは、とびきり美味しかったと私は思う。
でも青松さんは、自分のお店のおにぎりが、食べる人にとって、一番じゃなくてもいいのだという。

「私にとっての一番」は、お母さんが小学生の遠足の日につくってくれたものかも知れないし、大事な試合の日にもたせてくれたものかも知れない。身近な人が相手のことを思ってにぎってくれたもの、思い出のおにぎりが一番だろうと。

「おにぎりって、ちょっとずるいと思うんですよ」
たしかに。青松さんが言ってたこと、少し分かる気がする。そういえば、と思い出す記憶が自分にもあった。

お母さんがつくるおにぎり。アルミホイルに包まれたおにぎりは、固くにぎりこまれていて、ずっしりとしていた。

友達のものに比べると、なんだか見た目が地味だった。
私は、友達のおにぎりが羨ましかった。カラフルなセロファンにくるまれていて、(コンビニのおにぎりのように、ごはんとのりを隔てて包めるもので、のりがパリパリだった)真ん中にはかわいいシールがついていた。

その子のおにぎりを見るたびに、いいなあと思っていたけど、ふと、あの湿ったのりの香りに、ずっしりと重いあのおにぎりが食べたくなった。

 

おわりに。

 

青おにぎりには、たくさんの人が訪れる。
近所のおばちゃん。観光にやってきた外国人。大学生のカップルに、お母さんと小さな子ども。さまざまな人が同じカウンターを囲み、みんながおにぎりを食べる。
その光景を思って、自然と顔がほころぶ。なんだか前よりも、おにぎりに愛着がわいた気がする、なんて私は思う。

「忙しいと、ピリピリしてしまうこともあります」
そう青松さんが言うように、たしかに、忙しいときには少しイライラしているか、ぶっきらぼうに見えることがあるかも知れない。

でもひとりカウンターに立ち、お客さんに向かう青松さんは、毎日、たたかっているのだろう、と私は思う。

青松さんは今日もお店に立ち、おにぎりをにぎっているのだろう。書きながら、そんなことを思う。今日はどんなお客さんがカウンターを囲んでいるだろう。

日曜日だから、きっとお店は忙しいだろうな。どんな気持ちで、カウンターに立っているんだろうな。

精一杯青おにぎり。ふと、青松さんのそんな言葉を思い出す。インタビューのときに見せた、ぎこちない笑顔が頭に浮かぶ。このお店が愛される理由がなんとなくわかる気がした。

やっぱり、しゃけは頼もう。赤鬼の身も。出し巻き玉子は、つけたくなるよなあ。次は何を食べよう。そう考えているだけで、私の顔はほころんでしまう。ただのおにぎりなのに、とびきり美味しい。味はもちろん、でもそれだけが理由じゃない。

あのカウンターに立っているのが、青松さんだからだ。
新参者の私が言うには気が引ける。でもきっとそう。このお店を愛する人たちにとって、青松さんのにぎるおにぎりは、きっと「とびきり」に美味しい。

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writerWRITERこの記事の作者
衣笠美春

この記事を書いたひと 衣笠美春

フリーライター。 インタビューが好きです。 2017年3月にインタビューの個展「ここにあるもの」を開催。 ご連絡は、お問い合わせからお願いします。
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