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たくさんのひとりが集う場所(最終話)

会いたい人と好きな場所がふえることで、今いるこの場所をもっと、好きになれるんじゃないだろうか。

「自分の住む街のことを知りたい」と思って始めたこの企画。京都の気になる人や場所を訪ねていきます。

第1回のインタビューは3回に分けてお届けします。

たくさんのひとりが集う場所(1)
たくさんのひとりが集う場所(2)

たくさんのひとりが集う場所(終)
(インタビュー 柴垣希好さん)

―― イノダコーヒーをやめ、アルバイトを転々とする生活。気持ちが落ち込んでいく日々のなか、柴垣さんは26歳になっていた。

 
どうしたらいいのか。
この生活を続けていても、自分の夢を叶えられる日はやってきそうにない。どうすれば、この状況を抜け出せるだろうか。

行きづまった柴垣さんは、少し考え方を変えてみることにした。
お店をしようと思えば必ず、開店資金がいる。まずは、お金を貯めてみたらどうだろう。

修行のため喫茶店で働き続けてきたが、それをやめ、時給の高い、運送屋などのアルバイトを始めることにした。29歳まではずっと、アルバイト生活を送っていたという。

ここから、どのように今のお店につながっていったのか。きっかけになったのは、1台の車だった。

 

何か、行動しなければ。

 

車が好きな柴垣さんは、その日ふと眺めていた車雑誌に、フランスの古いバンが載っているのを見つけた。

「この車をつかって、何か商売ができないだろうか」

ふとそんなことを思いついたが、不安が頭をよぎる。はたして、うまくいくのだろうか。もし失敗したら、どうしよう。でもそろそろ、何か行動に移さなければ。

30歳という年齢を前に、まだ何もかたちになっていない、という状況に耐えられなかった。何でもいい。失敗してもいいからとりあえず、何かやってみよう。

柴垣さんは車を購入すると、フランスへ飛んだ。

いきなり、車。フランス?
話が一気に進み始めたことで、私の頭は混乱した。

「車を買うことと、フランスへ行くこと。この間に結構距離がある気がするのですが」

思わずそう聞くと、買った車をつかって何をするか、を考えるために、フランスへ行ったという。フランスへは何度か旅行で訪れていて、好きな場所になっていたのだそう。

仕事を見つけるため、フランスへやってきた柴垣さん。街を散歩し、色んなお店を見て回った。数日、クレープ屋などでアルバイトもした。

このときフランスへいたのは、2週間ほどだった。決して長い時間ではないかも知れないが、フランスで過ごす時間が、柴垣さんの気持ちに変化を与えた。

日本から遠く離れたところに、これだけ多くの人が生活している。フランス人は、あまり細かいことを気にせず、一日一日を楽しむ、という感覚で暮らしているように思えた。自分が生きてきた世界とは違う、もうひとつの世界。

「挑戦してみよう」
そう心に決めた柴垣さんは、フランスで出会った人たちに、「日本で、クレープ屋かサンドイッチ屋かピザ屋をしようと思っている」と宣言した。

それは、退路を断つ、という意味でもあった。自分の大好きなフランス人にこれだけ言っておいてもし、実行しなければ、もうお前はほんとうに駄目だと。

「じゃあオレが紹介状を書くから、あそこのクレープ屋で働いてみたらどうか」

想いを口にしたことで、周りの人たちが次々とアドバイスをくれ、協力してくれるようになった。以前の、内気な性格の自分からは、想像できないことだった。

やるしかない。
決意をかため、柴垣さんは、日本に帰った。
 

もう、後にはひけない。

 

この車をつかって何をするのか。

迷った結果、バゲットサンドの販売をすることに決めた。フランスで食べたバゲットをヒントに、それでサンドイッチを作ろうと考えたのだ。

夜通しサンドイッチの調理をし、包装をする。仮眠をとり、お昼どきになると車を走らせ、販売に行く。

調理から販売にいたるまでの作業を全部、ひとりでこなしたという。だからその頃は毎日、2時間ほどしか寝ていなかったのだそう。

そんなこと、出来るのだろうか。
何でもないことのように、さらっと口にする柴垣さんの姿からは、その生活の大変さというものが想像できず、私は少し反応に戸惑った。

柴垣さんは、バゲットサンドの販売を、6年ものあいだ続けた。

この長い歳月に、どんな思いがあったのか。

どれほど詳しく聞いたとしても、言葉にはならず、こぼれ落ちていくものがある。
柴垣さんの短い言葉の背後に、私には、(おそらく本人にも)すくいとれない時間があるのを感じた。

移動販売を続けるなかで、その間、大きなトラックを購入し、移動喫茶店にも挑戦したという。荷台のなかにカウンターと、2、3人が座れる席をつくった。

初めての自分の喫茶店。商売として成り立つものではなかったが、「いい練習になった」という。

予定ではもう少し長く、移動販売を続けるつもりだったが、お店の場所が見つかったことにより、開店準備に取り掛かることに。

 

ついに。

 

「その頃には、もうお店のイメージは固まっていたんですか」と聞いてみると、そうですね、と言って柴垣さんは頷く。

35歳までかかったのは、自分のイメージがぶれていたからだという。

違う雰囲気の喫茶店を見ては、気持ちが傾いていたのが、「こういうお店にしたい」という気持ちが明確になったことで、いよいよ始める決心がついたのだと。

お店をつくってくれたのは、移動販売をしていたときに出会った友人だった。

昼時、大学まで販売に行くと、お弁当屋さんがいくつか来ており、そのなかに、以前アルバイトをしていたお店があった。店員さんと話すうちに、彼が同い年だと分かり仲良くなった。

彼には大工になるという夢があり、柴垣さんには喫茶店をするという夢があった。
いつか彼が大工になり、自分も喫茶店を開くときがきたらその時は、彼にお店をつくってほしい。

その想いは叶った。
ふたりとも、自分の夢を実現したのだ。

「彼のおかげで、いいお店になったと思うんですよ」
目を細める柴垣さんの姿には、懐かしさが滲んでいるようだった。

そして、2008年9月8日。
「月と六ペンス」は、オープンした。

 

変わらずにあること。

 

月と六ペンスは、今年で9年目になる。

「この間、3年ぶりに来店されたお客さんがいました」と話す柴垣さん。

そのお客さんはもともと常連のかただったそうで、東京への引越を機に京都を離れたが、3年ぶりにまたお店を訪ねてくれた。

いつも座っていた、店内の端っこの席に腰かけると、そこに「同じ景色があった」と言って驚いていたという。

目の前に並ぶ本のなかに、3年前に見たものと同じものがあった。
3年間、自分もいろんなことがあって、きっとこのお店でもさまざまな出来事があっただろうけど、この本は、変わらずここにあった。

「フランスへ行くのも、似たような作用があるんです」と柴垣さんは言う。
離れたところに変わらずにあるものに、会いに行くのだと。

変わらずにただあり続けるということ。
それがどんな意味をもつのか。

言葉の前に立ち止まってしまったのは、私がひたすらに、「変わらなきゃ」と思い続けてきたからかも知れない。

成長したい。変わりたい。
そう思い続けて得られたものに喜ぶ一方で、自分のことに必死になるあまり、ふと、何か大事なものを見失っているんじゃないか、と思うときがある。
変わらないでいてくれるものがあるから。安心して、変わっていきたいなんて思えるのだろうか。

これからのことを聞いてみると、「まだ、分かりません」という答えが返ってきた。私相手なら、適当な言葉で片付けておいたり、とりあえず格好つけておく、ということもできるのに。

柴垣さんは、私に話しながら、自分の気持ちにも向き合っている。たぶん、そうやって確かめながら、言葉を選ぶ人なのだろう。

淡々と。
変わらずに、そこにあること。

柴垣さんの目は、まっすぐ前を向いたまま、どこか遠くを見つめていた。

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writerWRITERこの記事の作者
衣笠美春

この記事を書いたひと 衣笠美春

フリーライター。 インタビューが好きです。 2017年3月にインタビューの個展「ここにあるもの」を開催。 ご連絡は、お問い合わせからお願いします。
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